都市の喧騒というノイズに甘えて思わず屁をこいてしまう件について
都会、特に東京という街はあらゆる騒音に溢れている
激しく車は往来しクラクションが鳴り、街宣車が大音量を響かせ、営業中のサラリーマンがスマホ片手に商談や連絡をしている
ガードレール上に電車が滑り込み、ホーム上に駅員の声がスピーカーで飛び交う
街そのものがノイズに溢れているのだ
油断しているわけではないのだが、屁をこいてしまう
これだけ周りが騒がしいんだから、おれごときが屁をこいても分かるまい
そういう深層心理が働いている気がする
シンと静まり返った、開演前の映画館、美術館の展示室、会社のフロア
そんなところではまずしない
一旦外に出て、雑踏に紛れ込むと危ない
おれだって、出したるぜと意気込んでるわけではない
しかし気分が開放的になると、肛門も開放的になるのか
しもた!と思ったときはもう遅い
あたりを見渡すが、みんなそれぞれの世界で忙しく動いている
これだけのざわめきのなかだ
誰も気づいていない
なぜか少し嬉しくなってくるおれがいる
カフェオレを片手に歩いてくるオシャレな一団とすれ違う
雑誌から飛び出してきたような爽やかな風を感じる
すれ違いざま、こいてしまった
しかし、オシャレ団は何事もなかったかのように、あははうふふと通り過ぎていく
君らは今、とってもオシャレな空気のなかにいると思っているだろうけど、その世界の片隅ではおれが屁をこいているのだよ
なぜかそう言いたくなった
気づかぬだろうけど、全くわからんだろうけど、君たちのオシャレフレームの一角に、じつはおれの屁が入っているのだよ
ふふふ、ふふふ!
振り返り、オシャレ団を見送る
すまぬという気持ちがある一方、謎の優越感が芽生えていることも事実なのだ